名台詞を通してはじめる読書もある。ライトノベルを中心に、作品の長所を追いかけて紹介していくサイトです。
 

どうもまとまらないけど

 本来的にはこの作品、最初の2冊で終わっていた話でもある。
 幽霊との二人三脚という「すこしふしぎ」系の設定を持った話ではあるものの、フィギュアスケート小説を書くにあたっておそらく恋愛未満のパートナーシップや別離の余韻など、ライトノベル的な味付けを加えたかった部分ではないかとも思えますが。
 その舞台設定自体はよくある話でもあるわけですが、その話自体は前後編で終わっていて、そして話はその後多少の浮世離れはするものの「すこしふしぎ」に帰ってくることは敢えて無かったところを個人的に評価したく。

 「タズサとピート」の話は1,2巻で終わってしまい、それをさらに引きずらない事を選んだ3巻では「桜野タズサ」の再構成を図った、いわば仕切り直しの意味がこもっていたのではないかと。
 そしてその後は、銀盤世界のフィギュアスケート界におけるタズサ以外の人物を一人ずつ掘り下げ、またその人物からの「桜野タズサ」を書くことによって世界そのものに深みを与えて舞台をお膳立てし、そしてクライマックスへ、と。

 既に書いている人もいるものの、個人的に意外であったのはドミニクが「悟り開いた(爆)」直後に、見事なまでにフェイドアウトしてしまった感があること。その時相手にしていたリアの存在を巨大に書こうとする際に、タズサの自滅という形で情景を書いてしまったが故に居ても居なくても代わりのない人間となり、再起のお膳立てとしての憎まれ役の役回りもキャンディに完全に奪い取られた格好であったため、眼中外で漁夫の利を占めたに留まっているのが残念と言えば残念。
 ……まさに「悟りレベル振り切って、ペナルティ表振った結果存在感ゼロの存在になってしまった」感があり(って、ブルーフォレストなんてそんな判る人いないか)。

 それは極端な例とはいえ、キャンディやガブリーは比較的最終巻に掛けて相応の使われ方をしたものの、今ひとつ最終巻に掛けて布石としての効果が薄かったかなと思うのは残念。特にピートの存在について、何らかの区切りを最終巻でつけたのではないかと思わせる言葉は残っているものの、その部分については敢えてぼやかしたことでそれほど強い印象を残す部分にならなかったことについては賛否あろうと思う。

 個人的には、この後の銀盤世界におけるフィギュアスケート界の動きについて、おそらく決定稿が出ることはもはやないであろうものの、自由に思いを馳せてみるのもまた面白いかと思う。

 そして、味を損なう恐れがあるが故に、これもやはり謎のまま書かれることはないであろうけれど、それぞれの場面でリアは果たしてどんな考えを持っていたのか、敢えてリア主観での本編再構成外伝などを読んでみたくもある(笑)。

 その一方で、個人的には映像についてはあまり興味を抱かない部分も。……だって、アイスドールプログラム、アニメでやったら多分アリプロのイメージ映像みたいなもので済んじゃいそうだしなあ(超爆)。

 まあ、映像描写にしろ、心理描写にしろ、「想像に任せておく」のが一番というものはあるようで、というところで。

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